心に虫メガネをもとう。小さな幸せを見過ごさないように。

・・ある新興宗教の教会の前に掲げてあった言葉。

僕は特定の宗教を信仰しているわけではないけど、新興宗教というとちょと胡散臭いイメージがある。

ただ、それは運営する人が非常に世俗的で、いわゆる「生臭坊主」だからであって、その「教え」そのものは、人生訓として見習うべきものが多いとも思っている。

心に虫メガネをもって、プチ・ハッピーに祝福を!
 ぱっとしない原作よりかは、数倍面白い。
 過去を辿る旅っていう構成は、いかにもノスタルジックに感動させます的な気がしないでもないけど、うまいことはうまい。ちょっと「101回目のプロポーズ」を彷彿とさせた。
 亡くなった恋人を胸に抱え、追憶に浸るって、恋愛ドラマの最強パターンだよなあ。

 途中までは楽しめた。ただ、柴咲コウの正体があれって・・・ちょと出来過ぎでわざとらしいぜい。
 上映時間が若干長すぎるっていうこともあり、名作になり損ねたっていう感じ。
 でも、見て損はないかなあ。
 光や音楽の使い方とか、さすが新進気鋭の監督の作だけあるなあと思った。 
 調子の悪い我がセレッソも、さすがに新潟には勝てるやろうと想い、長居へ。
 アウェー側で観戦。後ろの席は、ご老人が集団観戦。

「攻められっぱなしだよ。ちょっとはこっちのサイドで仕事してくれんと」

 仕事っておい!! 確かに「プロ」やから、仕事には違いないけども、サラリーマン的用語、やめろっちゅうねん。
 「川堀り」とは、田舎特有の共同作業。平たく言うと、用水路掃除のこと。

 川堀りには、スタイルがある。頭のてっぺんからいうと、麦わら帽子をかぶり、手ぬぐいを肩からかけ、Tシャツにワークパンツ(平たく言うと、作業ズボン)、長靴、得物は鍬あるいはスコップ、オプションとして鎌なんかもある。
 これが、いわゆる川堀りスタイル。
 
 川堀りスタイルにも変革の波が来た。モードの波が川堀りスタイルを揺り動かす! 団塊ジュニアが川堀りに参加して、川堀り界に革命を起こしたのだ。人は呼んだ、「彼らは恐るべき子ども達だ」と。

 フォークロア風に麦わら帽をかぶりこなし、化粧は「キューティー」風にロマンティック、ただし甘すぎない、紫外線対策はばっちりで、トップスはTシャツじゃなくビタミンカラーのカットソー、胸元はセクシーに開き気味で男の子の注目を引くことまちがいなし!?、アンダーはパンツオンスカートで変化をつけ、靴はミハラヤスヒロの限定ものブーツ、クイーンズコートの紙袋をもち、鍬は自分用にカスタマイズしたオーダーメイド品。

以下、未完・・・ 
 
 数分前まで平原綾香のことを、「平山綾香」だと思いこんでいた・・・ けど、世の中には、同類項な奴が他にもいるようで、平山綾香で検索したら、100件近くヒットした。
 まあ、平山あいっていうのもいるし、えらい相似形な名前やなあと前から訝しんでいただけに、すっきりしてよかったわ。

 「題名のない音楽会」を数年ぶりに見たら、ゲストで出てた。何か無機質で、アンドロイドが歌っているみたい。でも、引き込まれる。いつも感心するのは、ふてぶてしいまでの落ち着き。
 素人目には、元ちとせと同様、『ほんまもんの歌の上手さ」を感じるねんけど、巧っぽいだけのような気もしないでもないよなあ。ほんまのとこ、歌唱力、どうなんやろう? 

 でも、大ヒットしたせいで、ジュピター(ジピュターか?、どっちやろう?)をカラオケで予約すると、平原綾香を期待されるのは僕的には迷惑、だれもまさかBUCK−TICKとは思わんやろうし。

 勘違いつながりでいうと、「好きこそものの上手なれ」をずっと、「好きなものこそ上手なれ」と思っていた・・・っていうか、これも検索すると、10数件の同志がいたぜい。
 関西に住んでいながら、恥ずかしながら、初USJ。

「バックドラフト」
  最後だけ、びっくしした。
「ターミネーター」
  進行役のお姉ちゃんがおもろ。これも最後にぶっくりした。
「ウォーターワールド」
  3つしか行けなかったなかで、これが一番おもろ。
  観客の一体感がええ。スタントショーのレベルも高い。みたび、最後でべっくりした。

「パレード」
  まあまあ。最前列にいると、うしろからおされて、ぼっくりした。

「レストラン」
  スパイダーピザっつのを食べた。カニの唐揚げを初めて食べて、案外美味で、ばっくりした。また、待ち時間が1時間で、げっくりした。

 おもろいけど、ディズニーランドには敵わない気がした。インパクトあるけど、リピート性には欠けるかなあ。 
 仕事の関係でもらった只券で(こんなんばっかし)、京都文化博物館「鉄腕アトムの軌跡展」。

 meet4月号の建築特集を読んでから京都の街並みを見ると、改めて歴史を感じた。京都文化博物館は、学生時代から気になっていたモダン建築。(本館やとずっと思っていた建物は、実は別館やった・・・という落ちはあるものの)

 期待せずに行ったら、案外よかよか。充実の展示。時間の関係でとばしたが、アトムの原画とか、全部じっくり見ると2時間くらいかかりそう。感化されて、古本でアトム全巻揃えようと思ってしまった。

 また、常設展示の「人形と子どもの衣裳」も趣深し。雛祭りの雛って、昔は立ち雛だったのね。

 電車の中では、恒例のサッカーダイジェスト選手名鑑を精読。我がセレッソは、若手の濱田と酒本(さかもとじゃなく、さけもと)に期待。僕の隣町出身の杉本が横浜FCに移籍したのは寂しい。

 夜はNHK「トップランナー」の再放送「大西ユカリ」を見る。最近人気でつつあるけど、歌を見るのは初めて。パワーのあるおもろいおばちゃん。トップランナー、4月から日曜19時に移動するらしい。変にメジャーになってしまわないかと心配。土曜23時〜くらいが一番ええねんけどなあ。

今日のツッコミどころ
 展示されていた1950年代の少年雑誌「月刊少年」の付録は何と、「顕微鏡付きシャープペンシル」。 実物見てみてぇー。ただ、シャーペンに顕微鏡がついていて何かの役に立つかは不明である。
 愛読している日経エンタテイメント。はっきり言って記事の切り口はマンネリ化しているのだが、それでも他では真似できない日経印の情報は貴重。
 4月号でオモロは、スマップの草なぎ剛、略してクサツヨへのインタビュー。
 
 インタビュアー「個人として人気者であり続ける秘訣は?」
 クサツヨ「何も考えてないことですかね。(以下略)」

・・・何も考えてないのかよ!!(さまぁーずつっこみ) こう言うたらみもふたもないぜい。なんちゅー受け身なやつ。良く言えば自然体か、まあ、だから今の時代には受けるんやろうなあ、クサツヨ的キャラ。

以下、読みかけor最近読んだ本をリストアップ。「言葉」に関する本がちょとマイブーム(死語?)。

・新解さんの読み方 夏石鈴子 角川文庫
・犬は「びよ」と鳴いていた 山口仲美 光文社新書
・いい企画を出せる人の習慣術 小泉十三 河出夢新書
・宣伝費ゼロ時代の新しいPR術 高橋真人 河出夢新書
・無敵のビジネスマン養成講座 石原壮一郎 光文社知恵の森文庫
・オーデュボンの祈り 伊坂幸太郎 新潮文庫
 ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還 なんば松竹角座にて 只券で

 ・・・ついに終わってしまったよ。早くクライマックスが見たい気持ちがある一方、いつまでも物語が続いて欲しい気持ちがあった。人生の楽しみがひとつ減ってしまった感じや。

 原作を、図書館のきれいなお姉さんに奨められて小学生のとき読んで感動し、ロールプレイングゲームが流行っていたときも、「みんなあんまり知らんやろうけど、ロールプレイングゲームの起源は、指輪物語やねんで」と、けっこう優越感に浸っていた。

 映画第1作が話題になったとき、自分だけの宝物がみんなの人気者になって、うれしいけど、ちょっと寂しさも感じた。ファンタジーは子供向けのイメージがあるけど、指輪物語はそれを払拭した。まさに大人の鑑賞に堪えうる「ハイ・ファンタジー」や。

 アラゴルンの気高さ、サムの忠誠心、ピピンの陽気さ、フロドの使命感、ギムリの頑固さとかわいさ、レゴラスの華麗さ、ゴラムの卑怯ささえ人間のやるせない業を感じさせて、どのキャラクターも立ちまくっていていとおしい。
 映画は、原作に比べると尺の関係から描き込みが少なく、若干エピソードの消化に追われている感はあるものの、原作ファンにとってイメージ的には恐ろしいまでの、ほぼ奇跡的といえるほど忠実に原作を再現している。
 友情の大切さ、裏切りの醜さ、日常の平凡な暮らしのかけがえのなさ、人生における使命をやりきる大変さ、指輪物語はいろんなことを教えてくれた。もう、僕にとっての人生のバイブル。

 幼い頃に読んだ原作のクライマックスを忘れていて、映画の最後には改めて感動させられた。重荷を背負ったフロドが旅立ち、愛すべきサムが物語を紡ぎ続ける。単なるハッピーエンドではなく、何ともいえない切なさと幸福感が入り交じった余韻が残った。

DVDで3巻パックが出たら、絶対買ってやる。
 エルマガ3月号の紹介記事に煽られて(?)短歌集 「O脚の膝」今橋愛 北溟社 1,500円 を購入。

「あたらしいけいたいにすぐかえるひとはだれとでもきすをしそうなイメージ。」

などなど、「おっ」とさせられる短歌がちらほら。中にはわかわかめの詩もあったけど、それも彼女の「魅力」らしい。

 現代短歌には全く詳しくない。「サラダ記念日」以来ほとんど読んでいないのだが、ちょっとこれを機に詮索してみようという気になった。
 今更ながら、「年収300万円時代を生き抜く経済学」森永卓郎 光文社 古本で840円 を読む。
 今更ながら、うん、確かに、と納得させられることが多く、さすがベストセラーの名著。
 その中で、県別ラテン度指数っていうのがあって、1位は納得の沖縄県。2位はおそらく豪快な福岡県くらいかぇ?と思わせておいて、脅威の序破急的展開で、なんとまあ、我が奈良県が栄えある2位。
 まあ、そうかもなあ、のんびりした人多いもんなあ、奈良の寝倒れとかいうくらいやからなあ、若手漫才の芸人でも、けっこうボケに奈良県人多いもんなあ、まあ、やっぱなんだかんだいって歴史が育んだに違いない「余裕」っつうもんがあるぜい、そういえば、奈良県人は実は「ほ乳類」ではなく「魚類」だったとかいう噂を呼ぶほど、奈良県人には「えら」の張った人が多いけど、
これは正に、昔の大和朝廷人の特徴の名残にまちがいない! とかまあ、ごそごそ言いつつ、夜は更ける・・・
凛とした佇まい。
スラッとした佇まい。
どんよりした佇まい。
ぬらりひょんとした佇まい。
(いごっそうな佇まい(?))

たたずまいは、魂を語る。

いかつい背中。
ごっつい背中。
かよわい背中。
しがみつきたい背中。
(おまけで、蹴りたい背中。)

背中は語る、人生の生き様を。

ニコニコ笑顔。
あどけない笑顔。
つくり笑顔。
泣き笑顔。
(思わず、その笑顔のぶさいくさにこっちが笑えてくる笑顔。)

笑顔は、愛だ、アイーダ。

忘れ得ぬ人。
その佇まいは、楚々として、
その背中は、かたくなで、
その笑顔は、あまりにも無防備。

忘れ得ぬ人に出会うたび、
僕らは、一瞬にしてズタボロに切り裂かれ、
僕らは、永遠に囚われ人となる。

忘れ得ぬ人。
それは、人生の劇薬 ではなく
人生のサプリメント。
 いろいろとあり、疲労困憊。
 こんなときは、最近読みかけの「ダジャレ練習帳」多治家礼 角川春樹事務所 781円 に限る。
 
 恋人同士の待ち合わせ場面で、

 A「お待たセーヌ川」
 B「私も今来た所沢」
 A「ねえ、花子ちゃん、いいかげんにこの寒い挨拶、やめようよ」
 
 と、脱力系のダジャレ例が続く。
 呆れるを通り越して、もう笑うしかねえよ。
 肩・首・背中・腰痛、4重苦、脅威のカルテットが到来したため、クイックマッサージのナチュラルボディ、略してナチュボに行く。
 受付横に、かわいいマッサージスト(?)の紹介があって、顔写真とコメントが並んでいる。
 その中に、
   「三十路パワー全開で、頑張ります!」

・・・ 全開じゃなくてええよ。そんな全開にされても、ねぇ。全開にしたら、すぐに息切れしそうでかわいそうやし。お肌の張りに影響するよ。どうせ全開するなら、別のパワーにしておくれ。ダイイチ三十路パワーとはなんぞや? おばはんパワーとヤングパワーの中間かえ? どうせなら「いい女パワー」「大人の女性パワー」とかの方が、いいんとちゃう?

と、あと4ヶ月で三十路に突入する砂流はいじわるく思った。ウキ。
 直木賞作家、藤田 宜永の恋愛小説「樹下の想い」を読む。
 以前買った「鋼鉄の騎士」ハードカバー版は、古本で100円とお買い得だったものの、分厚すぎて読みにくく途中で断念、残念、無念。
 で、「樹下の想い」は・・・いい意味でも悪い意味でもオヤジ恋愛小説である。
 始めの方で、「お転婆」なる死語が出てきて、いまどき「お転婆」なんて誰も使わねーよ!おい!おい!おい!どーしてそんな言葉を使うんだい!!と、なかやまきんにくん風ツッコミをいれてしまったよ。読む気が失せたが、我慢して読んでいると、案外いいんです(川平慈英風)! これが。
 がんこおやじの不器用な恋。何が起こるわけでもないねんけど、静かに流れるような日々。抑えた筆致が冴え渡る。
 1カ所、どうしようもなくご都合主義的なとこがあってちょと興ざめしたが、それ以外は、もどかしい大人の恋愛模様。肉体関係のある恋よりも、プラトニックな恋の方が却って扇情的だと知ったよ。
 打ちのめされた。
 ある女の子と知り合いになり、打ちのめされた。
 「素」の彼女。
 その「素」さに打ちのめされた。
 ノックアウト寸前。
 ゴングはいつ鳴る?
  
 打ちのめされた。
 自分自身が打ちのめされた。
 敵(かな)いっこない。
 太刀打ちできない。
 自分は彼女に見合うだけの漢(おとこ)?

 太刀打ちできないことがわかっていても、
 リングに上がるしかない。
 自ら権利放棄は、卑怯者。
 あたってくじけろだ!
 ・・・じゃなくって、
 あたって砕けろ、まっすぐなまなざし、悔い無きよう。
 第2ラウンドは1週間後。
 息詰まる戦い。
 自分との戦い。
 克己。
 我、戦えり。
 余裕を忘れず。
 笑顔一番、(電話は2番、3時のおやつは・・・♪)
 「ああぁ、ハラヘリ、ヘリはら」とむせび泣きながら、カレー丼の文字に惹かれよしぎゅうの門をたたく。
 もっぱら「まず〜い」という評判のカレー丼を食味したかったのだ。
 ところが、カウンターに座った瞬間、そういえば「すき家」も今日から牛丼販売中止になったよなあ、牛丼が俺を呼んでいるぜよ、よしぎゅうもいつなくなるかわからんし、ここで食わねば悔やんでも悔やみ切れぬわー、ままよ、カレー丼なんかクソ食らえぃーといふ気持ちになってしまい、思わず「牛丼並とたまご」。
 これでもう逢えぬのか、と想いを馳せながら食すよしぎゅうは、心なしか肉の量が少なくなっているような気もして、あはれ、涙を禁じ得なかった。
 僕は、無理矢理テンションをあげるため、「てやんでぇい、べらんめぇい」と意味もなくつぶやき、さらには、噂のカレー丼の不味さをあれこれと妄想し尽くした末に、ようやく空元気が出て、よしぎゅうとの今生の別れに立ち向かう覚悟ができたのであった。
 さらば、よしぎゅう、流れるままに、まにまに。
 その時、最愛の友を一人失った気がした。廻り巡って、生々流転、いつかまた逢える日を、僕は願う。
 おもしれぇー。普段は新刊では文庫本か雑誌くらいしか買わない僕だが、これには参った、マイッタ。
 HP「ほぼ日刊糸井新聞」の企画が基ネタだけに、もしかしたらHP上に今でも内容が載ってるんかもしれんが、じっくり手元に置いておきたい本じゃけん、買って損はないけん。
 ビジネス上で使う慣用句(「お世話になっております」をはじめ、「たたき台」から「えいやっ!」まで何でも)をおもしろまじめに(→死語)解説してます。
 中にはうちの会社でしか通用しないと思いこんでたものがけっっこう載ってて、うちの会社も、そんなに世間の常識からはずれてないんだあと一安心してみたり、やっぱ5年も会社勤めしてたら、自分もすっかり染まってしまっているんやなあと、しみじみー、大西ジミー (・・・、)。
 こういう、しょーもないことをごっさまじめに追求したもんに弱いんだなあ、これが!

今日の笑い飯
 笑い飯のトークで、「アニメの一休さんで、武士のしげえもんさん(やったっけ?)が『いっきゅうぅさぁん」と喜ばしげに呼びかけながら一休さんに近づいてくる様子が何か変でおかしい」っていうのがあったらしいが、なるほどどすぇと感心して笑ってしまったよ。
 確かに冷静に考えれば、あんな大の大人のしかも武士が、お寺の小坊主ごときに、あんなにテンション高く嬉しげに、まさに飼い犬が飼い主にしっぽを振るかのようにふるまうなんて・・・恥ず!

 
 過日、とある朗読教室を見学した。
 講師の言葉に感銘を受ける。
「声を使うことは、どんな人でもできることや。お金を使わずに他人の心を豊かにできるねん。こんな素晴らしいこと、ほかにないで」
まさに至言やー。
 僕は自分が口数が少ないこともあって、お喋りな人が好きや、お喋りな人っていうのは、時々うっとおしがられていたりするけれども、それ以上に他人に元気を与え、他人の心に生きる糧を届けていると思う。
 例え口数が少なくても、その気持ちだけは忘れずに今後人と接していこうと思った。自分から思い切って話しかけることで、新しい関係が生まれるもんなあ。
 


 悪夢の寄り合い2DAYSを乗り切ったものの、おかげで風邪はなほらず。ゴホっ、ゴホっ。ゴホン、ご本、ということで(?)本を買った。

 自己啓発も兼ねて、雑誌「編集会議」2月号を購入。特集の「売れるタイトル!」っつうのがオモロそうやったのだ。
 その中の「ベストセラーはやっぱりタイトルが素晴らしい!」という記事が、もうなんていうかすンばらしぃーのです。いろいろ本のタイトルが紹介されているねんけど、ベスト気に入ったのが、
  「夜のミッキーマウス」 谷川俊太郎

 !?、別にディズニーマニアでもなし、ミッキーマウスの詩なんてあんま読みたいとは思わないが、「夜の」ミッキーマウスっていうのは真実読みたい感に駆られた。「夜の」っていうのがつくだけで何か、すごく意味深にきこえる、日本語って奥深い、奥ゆかしい。

 

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