参加するはずの詩のボクシング用に、雑文を書きためていく決意。
 
 華麗なる席取りゲーム

 僕が通勤で乗り換える近鉄大和西大寺駅では、通勤ラッシュ時、華麗なる席取りゲームが繰り広げられる。見ていて惚れ惚れするほどの熱い戦い。その殺気漂うまでに研ぎ澄まされた集中力。もしも、そのエネルギーを集約して、例えば電力に変換できるなら、原子力発電所など一切不要となるだろう。プラトニウムにも優るニューエネルギーの誕生だ。物理法則さえ突き抜ける究極のパワー。

 テクニシャンがいれば、パワーファイターがいる。小柄な快速選手がいれば、いつもいつもほんとうにギリギリのところで席をゲットする
業師もいる。(そんなやつは、大阪市立大学の一芸入試でも受ければいいんだ!?)

 ひとつには、類い希なる予測能力。
 ひとつには、洞察力。
 ひとつには、運。

 そして、生存競争に敗れた者の前に広がるまさに荒涼たる風景。彼は、仕事という本番の前に行う準備体操に破れたのだ。そしてその怒りを、ぶつける。けっ。ぬくぬくと座ることに成功したエリート達よ。忘れるなよ。ほんまのスタートは9時以降やっちゅうねん!! ともすれば負け犬の遠吠えにしか聞こえないこの心の叫びが、そのハングリー精神が、日本の経済成長を支えていることは今更言うまでもない。

 ここには、また実社会の縮図のように、差別が存在する。というより、新たな差別の温床になっている可能性さえある。
 だって、自分が座れるかどうかの瀬戸際の場合に、たまたま並んだ行列の位置に、車椅子で電車に乗るための車椅子スペースが来たならば、口には出さずとも「なんでよりによって自分が並んだとこの座席数が少ないっちゅうねん!!」と思うっちゅうねん。潜在意識の中に車椅子への呪いが刷り込まれる。ああ、おそろしや。

 さらには、これもまた実社会でよくあるように、ひとつどうしても解けない疑問があって、なぜ彼らは2列ではなく、3列に並ぶのだろう。3列に並ぶ行列なんて、見たこと無いわ。一種異様な風景。これも選ばれし者が、戦う前に行う儀式のひとつなのであろうか? 鴨川等間隔に座るカップルの法則にも並ぶ、不可思議現象。

 ああ、華麗なる席取りゲームの奥は深い。底知れぬ魅力に取り憑かれて、人は惑い、踊り、彷徨い、時と場合によっては、狂ってしまうこともあるそうな。



 

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