今日はちょおっとまじめに・・・

「嘘つきロッカー」

 自らがプロデュースした歌手に「嘘つきロッカー」という歌を作られてしまった歌手兼詩人兼小説家兼映画監督がいる。彼は、今マスコミから総スカンを喰らっている。まあ、はっきり言って自業自得やね。彼こそ正に「嘘つきロッカー」やからね。しょーがないね。

 「書くことは逃げること」と、僕が大学時代、所属していた政治思想史ゼミ担当で、かなり学生から人気のあった「大人」の先生は言った。現実の世界で満たされないモノがあるからこそ、ヒトは文章を書くのだと。ただ、彼はだからといって「書くこと」を否定したわけではないが。

 先生は「太宰治」が大嫌いだった。辛気くさくて、読むのがつらいと。太宰治を尊敬する嘘つきロッカー。たぶん、先生は嘘つきロッカーの小説も大嫌いだろう。

 僕も、嘘つきロッカーの生き様は好きじゃない。それこそ自己中心的でひとりよがりの権化に違いないわ。少なくとも、真似したいと思う生き方とはちゃう。

 でも、僕は忘れない。人生の一時期、嘘つきロッカーの歌や詩によって支えられたことを。
嘘つきロッカーが紡ぐコトノハが例え嘘にまみれていても、どんなに世間のマイナーな人種に支持されることをあらかじめ計算して作られた作為的なものだとしても、人を救う敬虔さは変わらない。

 嘘つきはドロボーのハジマリかもしれないが、嘘つきロッカーは僕にとってキボーのカタマリであったのかもしれない。

 ここまで来たら、トコトン嘘をつきまくって欲しい。その先には、ひょっとしたら、嘘で塗り固めたコトノハのちょっとした綻びに、本当は笑って愛すべき彼のシャイさが見えるのかもしれないと僕は期待している。




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